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【JR西+九】3月14~15日 なは・あかつきラストラン

▲長い歴史のこの列車もあと少し ( 島本~山崎 画像:マー坊様 )

▲運用が終わると、なは編成は九州へ返却される
( 新大阪~大阪 画像:マー坊様 )

京都~熊本・長崎間を結ぶ寝台特急「なは・あかつき」が2008年3月15日のダイヤ改正で廃止となった。この廃止は関西対九州ブルトレの全廃を意味する。

最終列車となる14日発の牽引機は京都発9031レが京都~下関間がEF66-47、下関~門司間がEF81-411、門司~熊本間がED76-70、熊本発9032レ・長崎発9034レは長崎~門司間がED76-94、熊本~鳥栖間がED76-92、門司~下関間がEF81-411、下関~京都間が EF66-42による牽引。なお、下り最終の「あかつき」は長崎本線内でのダイヤ設定が困難なため前回の「さくら」廃止同様鳥栖打ち切りとなりED76- 92の牽引で竹下へと回送されている。

「あかつき」が関西対九州のブルートレインとして登場したのは1969年、新大阪~西鹿児島・長崎間での運行であった。その後1974年まで増強を続け新大阪と西鹿児島・長崎・佐世保・熊本を結ぶ7往復までに成長した。
翌1975年に山陽新幹線が全通を迎えると西鹿児島・熊本発着列車は「明星」へと吸収され「あかつき」は関西と長崎・佐世保を結ぶ列車となった。このときの列車本数は3往復。その後1978年には2往復、1986年には1往復と減便が進められた。

一方の「なは」は1968年に新大阪~西鹿児島間で運行されていた気動車特急「かもめ」の1往復を独立させて誕生した。この「なは」の名称は琉球新報による公募で選ばれ当時占領下にあった沖縄の本土復帰への願いが込められていたという。その後1973年には電車化、1975年には山陽新幹線全通に伴い昼行としては廃止になったものの「あかつき」から「明星」へと分離した列車のうちの1往復に「なは」の名が受け継がれたここにブルートレインとしての「なは」が誕生した。その後同区間を走る「明星」減便が進むものの1往復であった「なは」は減便されずに推移した。なお「明星」は1990年の臨時列車を最後に廃止されている。

それから10年以上が経過した2000年、「あかつき」・「彗星」・「なは」の3往復で推移していた関西ブルトレに廃止の波が押し寄せることとなった。このときの改正により「あかつき」の佐世保編成を廃止のうえで長崎編成が「彗星」併結しての運転に、そして2004年には九州新幹線が開業し「なは」が熊本発着へと短縮、そして2005年には「彗星」が廃止となり現在の「なは・あかつき」という併結列車となった。

【JR西】08年3月15日ダイヤ改正
文章:二遊亭没楽

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